栗城史多さんがエベレストの下山中に遭難、息途絶えたところ発見

どうも、SAToです!

今日も、
『SevenInstaColor』
にお越しいただきありがとうございます。

今回は、残念なニュースです。

このブログでは初めての悲しい報告となります。

北海道出身の登山家

栗城史多くんがエベレスト下山中

息途絶えたところ発見されたそうです。

Sponsored Link

ブログでは、

栗城事務所の小林さんより報告があります。

下山を始めた栗城くん無線の応答に反応しなくなり

暗い中でみてもヘッドランプも見当たらず

キャンプ2の近くの隊員が栗城君のルートを捜索したところ

息絶えた栗城君を発見したそうです。

「本日AbemaTVで生中継が」

中継があったため無理をしたのではないか?

という考えもありますが。

登山家として体調が悪い中で中継を

優先することはあまり考えたくない。

「咳が出ていること」

発言していたようですが

7,400mの標高咳と寒さから急激な体調

悪化があったのではないかという見方が出来る。

熱があったという話もあったそうです。

少々やんちゃなところもあったようですが

これまでの経歴に敬意を表します。

「北海道出身のアルピニスト」

今では有名な登山家ですが、

まだ名も知れなかったころ、

スポンサーを自らの足で企業を回り

募っていたのを番組で見たことがあります。

家族をとても大事にしている姿とか

印象に残ってました。

Sponsored Link

プロフィール

栗城 史多(くりき のぶかず)
生年月日:1982年6月9日
出身:北海道瀬棚郡今金町
没:2018年5月21日(35歳没)
ネパール エベレスト山麓 C2
所属:株式会社たお代表取締役

経歴

2004年6月
・マッキンリー6194m単独登頂
2005年1月
・アコンカグア6959m単独登頂(ポーランド氷河ルート)
2005年6月
・エルブルース5642m単独登頂
2005年10月
・キリマンジャロ5895m単独登頂
2006年10月
・カルステンツ ピラミッド4884m単独登頂
2007年5月
・チョ・オユー8201m単独・無酸素登頂
・7500m地点からスキー滑降
2007年12月
・ビンソンマシフ4892m単独登頂
2008年10月
・マナスル8163m単独・無酸素登頂
・山頂直下からスキー滑降
2009年5月
・ダウラギリ8167m単独・無酸素登頂
・6500m地点から生中継に成功
・6500m地点からスキー滑降
2009年9月
・エベレスト北側8848m メスナールート7750m地点まで
2010年5月
・アンナプルナ8091m 7700m地点まで
2010年10月
・エベレスト南側8848m 7550m地点まで
2011年5月
・シシャパンマ南西壁8027m 7600m地点まで
2011年10月
・エベレスト8848m サウスクロワールルート7800m地点まで
2012年6月
・シシャパンマ南西壁8027m 6500m付近から滑落したが生還
2012年10月
・エベレスト8848m 西陵ホーンバインクーロワール8070m地点まで。強風により両手、両足、鼻が重度の凍傷になり、両手9本の指を失う。
2014年7月
・ブロードピーク8047単独・無酸素登頂
2015年10月
・エベレスト8848m エベレスト8150m地点まで
※ネパール大震災により北側(中国側)登山からネパール側に計画を変更。
2016年10月
・エベレスト8848m エベレスト7400m地点まで

それでは、以上で
栗城史多さんがエベレストの下山中に遭難、息途絶えたところ発見
についてのまとめを終わります。

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました!

Sponsored Link

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA